王子神社と筏

~あわくら歴史街道~ H13.11
 
王子神社の写真  王子神社は筏津の字西山という所にあって、筏津の氏神であり、祭神は健御名方命で武運長久の神または開拓の神として信仰されています。御勧請の年暦は定かでありません。
室町時代、備前国大守宇喜多直家公の領分であった頃、祭祀料を納め、神田として田3反3畝15歩を寄進された程の神社でありました。その後、羽柴筑前守秀吉が備中高松城水攻めの戦いの折、神領全部没収されたと天保年間の書上帳に記されています。
10月の祭典には近郷の力士が集まり、夜の奉納相撲が盛んであったそうですし、
12月の大祭には湯立ての神事がおこなわれ、大釜に水を張り沸かしながら大祓詞を奏上し、煮えたぎると神
主は「水と縁を結ぶ歌」を詠みながら祭神や末社神へ神杓でお湯を供えます。それが終わると、孟宗竹の枝葉とか熊笹などを湯につけて、参拝者に振りまきながらお祓いをし、終わった後氏子が竹の葉や熊笹を家に持ち帰って家畜(牛馬)にご加護があるようにと食べさせる習わしがあったそうです。 
 この神社には、延享元年(1744年)建立の石燈籠1対と手洗鉢1、寛政9年(1797年)の石鳥居があって播州横坂石工粂右ヱ門とあり、その造形は真に立派なものです。
筏津は昔、材木を筏に組んで搬出したことに由来して地名がつけられたともいいます。吉野川の下流にある作東町豆田にも小字を筏町といい、近くに王子神社も祀られ、その昔、筏の本組みをした所ともいわれているところから、本村の筏津と共通した村里だったのではと推考されます。
 
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