引谷威徳天満神社の由来

~あわくら歴史街道~ H14.3
 
引谷威徳天満神社の写真  大字長尾2246番地に祭祀する引谷の威徳天満神社に、こんな由来が残っています。
昔、長徳5年(999年)、この地方に烈しい流行病がはやり、多くの人が死んでいったそうです。その頃、引谷山の麓に不思議にも夜毎に光り輝くものがあって、村の長老達が近づいてみると、冠を被り、髪は白く、頬に髭をたくわえた老人が、古い松の木の根元に座っておられました。その老人の申されるに「多くの村人が疫病によって死に、難儀をしているにつき、この神幣を授け与える故、この神幣の留まる処に我を祭れ、そうすればこの疫病も払い、また子孫も八十続きに守り、この里も長く栄えるであろ
う」と申され、「我は菅原道真なり」と言って、老人の姿はかき消すかのようになくなっていました。村人達は、神幣の留まる処に小さな宮を建て信仰したところ、忽ち病も治まり、村中にも平穏な日々が戻ってきたので、益々村人は神徳を蒙るため信心をしてきました。この御祀りした処は、別府地区の引谷村道入口の東の方角で、今の天神田という地名の残っている処だそうです。
 後年、ここでは、村人達が御社の前を牛馬に乗って通ることがあれば又祟りを受けて長く患う人が出てはいけないと、村の長達が相談して元の引谷の、山裾の松の木の根元の処にお帰り願おうと、御社を造って祭りました。そこは小才という処で、愛宕様のお祀りしてある上だそうです。その後、何時の頃か定かではないが、荒神様の祀ってある処(現在の場所)に祭祀するようになったと伝えられています。
 
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