佐渕城址

~あわくら歴史街道~ H15.5
 
佐渕城趾の写真 佐渕城は、天正年間(1573年)長尾別府地区の北端、吉野川西方の山頂(標高370m)にあって、城主は因幡国智頭郡大野原の淀山城主で草刈与次郎景晴(重久ともいう)という人でした。
城山の北には佐渕谷川、前方は吉野川が流れて天然の濠となり、然も見晴らしの良くきく要害の地形ともなっています。城山の南には大きな堀切の跡、北側には五段に掘り築かれた塁状の跡も見られ、敵の攻撃に備えた山城特有の防御施設と考えられます。
 城郭の規模については確かでありませんが、敷地も広大なものではないので小規模のものであったことが想像されます。城兵の最も重要なものに飲料水の問題がありますが、水は山続きの妙見谷から引水して、城郭内に井水の設備を拵えて使用した跡も遺っていたり、山肌には導水路の形跡も遺っていて、小規模な山城ながら、必要最小限の設備は整っていたことが窺えます。
 戦国時代群雄諸豪が各地に勢力を拡大して、独裁的利権を追求して戦っていた頃のこと、築城の目的は小原庄竹山城主(大原町下町)新免伊賀守宗貫の勢力に備えるためのものであって、やがては合戦に発展していくことになります。
城山の南側の形ばかりの登山道を登ると、途中に城山稲荷神社が祀られていて、その傍らに樫の大樹(周囲2m余)があって、幾百年昔の盛衰を物語ってくれているようです。

    城塁、堀切、用水路、 兵者(つわもの)どもが夢のあと
    城趾の松に吹く風も   今は平和とそよぐなり

 
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