四十九瀬の墓

~あわくら歴史街道~ H13.8
 
四十九瀬の墓の写真  四十九瀬の墓というのは、猪之部神社東北方向の山裾にあり、次のような言い伝えが残っています。
昔、足利幕府の末期頃、伊予國(愛媛県)の河野城主であった河野佐渡守という人が戦国の世の戦乱に敗れて追われることとなり、因幡國へ入り更に追手に攻め立てられた一隊は、志戸坂を越え上猪之部までようやく辿り着きましたが、執拗に迫りくる敵方から何としても主将を守り通さなければと、49人の家来はこの地に踏み留まって佐渡守を無事に南走させ、自分たちはここ
を先途と、壮烈な戦いの末討死をしました。
「東作誌」によれば、討死した忠士49人の墓を「戦士四十九人の墳」と伝えています。ほかには「四十九士」とか「四十九所」とも呼ばれているようです。昭和年代に地元の篤行の某夫人が、この戦士の霊を弔うために建立したという碑もあります。
 また、四十九瀬の北方、中通りという田(井上美佐男家)の一角には50体ほどの五輪の卒塔婆が祀られています。この地区の基盤整備工事の際に出土したという五輪さんも一緒に祀ってありますが、その数の多いことには驚きます。この地続きに五里町という墓地がありますが、五輪町の転訛した小字名ではないか?何となく四十九士の墓と結びつけたくなる五輪群です。
 
←戻る  トップへ  次へ→